道州制の是非

週末金曜日は永山駅。立ち始めて少し経つと小雨が降ってきた。なんとなくさえない朝だが、こんな時こそ元気良くいつものように6時30分駅頭スタート。昨日で一般質問が終わった。公共施設の再配置問題に消費税見なおしの是非、そして子ども子育て支援法に向けた考え方と、同じような質問が続く。一方それらの質問をよーく聞いていると共通したことがある。それは少子高齢化というものを遥かに超えた「人口減少時代」に突入した今、人々の暮らしをどう守り、また発展させるかという壮大な課題である。小さな器の中で同じようなことを議論していても、無駄ではないが結果的に何も動けないかもしれない。道州制の導入検討は様々な課題に向けた糸口のひとつにはなるだろう。都道府県を廃止し、日本全国を10程度の州に分ける。そして、国の存続に関わるモノは国に、人々の暮らしに関わるモノは地方にと役割を明確にする。しかし、この制度の議論は戦前から行われている割に遅々として進んでいない。法律の問題、制度上の問題、地域性の問題、誰がリードするのかの問題など、難しさは最上級レベルだが、これを行わねければ日本の未来はないのではないだろうか?小さな器の中で無駄な議論を繰り返す時間はない。そんなことを提案しながら、むしろ前向きになった2362回目の街頭だった。

“道州制の是非” への1件のコメント

  1. 近藤 昇 より:

    道州制賛成 総理の仕事

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