延命治療の在り方

水曜日は聖蹟東口。今年初めてのガード下はすっかり正月気分の抜けた活気のある朝だ。昨日は地元商工会議所のか賀詞交歓会に出席。やはり経営者の皆さんの関心事は実体経済のことだ。金融政策は何とかうまくいって株価も上昇したが、中小・小規模事業者にとってはまだまだ取引上の増加や賃金への反映が伴ってきていない。政府も様々な規制緩和や支援・補助制度を打ち出しているが、それを如何に使いこなせるかが地方政治の腕の見せ所だ。この春は選挙が多いが、地域経済発展のために頑張って動き回るつもりだ。ところで、医療費抑制の話が今朝の某新聞に出ていた。診療報酬の実質引き下げは良いことだと思うが、一方でコンビニ診療の抑制やジェネリック医薬品の活用程度ではもう医療費の抑制などは間に合わない時代になっている。毎年増える医療費1,3兆円のうち、高齢化による自然増は6000億円だが、それ以上に医療費を膨らませているのが高額な薬や高額な医療機器の出現であり、これが8000億円にもなって結果的に我々の医療費に跳ね返ってきているのだ。今まで直せなくて半ばあきらめていた病気を優れた機械や薬が直せしてくれる時代になってきたが、皮肉なことにそれが医療費を余計に膨らませている大きな要因になっているのだ。ひと昔前の医療業界は、いかに命を救うかが当然の課題であった。しかし、今はどこまで保険で命をつなぎとめるかを考える時代になっていると聞く。ある有名な地元の高齢者専門の大きな病院では、人工呼吸器をはじめから置いていない。昨年の秋に私の母が肺炎で入院した際、有名な理事長先生から「マサノリさん、もしお母様に何かあった場合、うちは延命治療はしません。もし、それを望むなら遠慮なく他の病院に移っていただいて結構ですよ」とコンセプトを説明されたのをはっきり覚えている。母はおかげさまで元気になったが、高齢者医療における人間の尊厳の在り方が問われる時代になったことを感じたものだ。考えさせられた今朝は、そんな報告をさせて頂いた2430回目。

“延命治療の在り方” への1件のコメント

  1. 近藤 昇 より:

    母さん良かったですね

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