親の教え

水曜日は聖蹟東口。この2日間マイクを控えていたが、今朝からいつものように元気いっぱいの駅頭復活。いつもより早めの6時10分活動スタートだ。最近、若い頃よく親に言われた「清濁あわせ飲む、ような男になれ」と言う言葉を思い出す。清らかで済んだ水も、濁って苦い水も、両方とも飲み込める広い心と度量を持ち合わせろ・・・。と、そんな意味だと思う。親は、「一本気だが、その分衝突やけがも多い私の性格」を見越してか、よくこの言葉を言ったものだ。広い心や度量の大きさは、その人の客観的な視点や、先々を読む力、そして優しい心に委ねられるのではないだろうか。間違っても人が苦しんでいるときに、傷口に塩を刷り込むような男にはなりたくないと思う。私が、真に人々の心根を知る訓練は、まだまだ道半ば。アベノミクスと同じだ。人々の心に訴えられるような政治家になってみたい。そんな人生修行を感じた今日のマイクは、妙に力が入ってしまった。ところで、そろそろ帰りの時間が近づいた頃、若いお母さんがニコニコしながら近づいてきた。「うちの高校生の子がファンなんですよ」って!超嬉しかった。でも、それが女の子なのか?男の子なのか?肝心なことを聞き忘れた今朝は、2630回目。

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