純粋さ

週末金曜日は永山駅。古くからの知り合いも多い場所。今朝は懐かしい「顔」が幾人か訪ねてくれた。お互い、とりあえず見た目にそれほど変化がないことに安堵するが、ゆっくり情報交換したい気持ちがある。でも、朝の慌ただしい中で「また今度近いうちに」って別れるのが精いっぱい。でも、その後時間を取ってゆっくり会うことがなかなかできない事も分かっている。どこかにはかない感情を残した会話に寂しさを感じた。相談事も多い。特に保育所など子供に関することや、住まいのこと、そして就職など仕事に関することが群を抜いている。自分ができる限りお手伝いをさせてもらうが、うまくいく場合もあればそうでない場合もある。政治に関わる者は、政策の提案も大切な仕事だが、住民一人一人の生活実態の中で起こる様々な悩みやトラブルを解決してさし上げることも大切な仕事だ。痛みを共有し、どうしたらそのよくない状態から抜け出すことができるか・・・。一緒に悩み解決のための具体的な取り組みを考えていくのだ。それは理屈じゃない。損得でもない。この仕事を選んだ者の使命として純粋に取り組むのである。今の都知事選挙や市長選の行く末を見ていると、そんな純粋な政治の温かみが見えてこない。そう感じるのは私だけだろうか。そんな今朝は毎朝純粋な気持ちだけで駅に立つ、おかげさまの2436回目。

“純粋さ” への2件のフィードバック

  1. 近藤 昇 より:

    他人の痛みを館じるのが人の道

  2. 近藤 昇 より:

    政治家は尊徳ではない。

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